モリとカケばかり食わされる身にもなって欲しい
もー、食傷気味です。
それが国民のタメだと思っているのなら、国民をバカにしすぎです。
『ψの悲劇』を読んでみた
物語の時代背景が違うのだろうけど、前作のΧの悲劇から近未来的に舞台が設定されてて、イメージとしてはWシリーズの前段あたりを表現しているのかなと、勝手に想像。
Wシリーズもそうなのだけど、読んでいて強く感じたのが、最近(最近でもないか)とても注目されている落合陽一さんが言うところの、デジタルネイチャーの世界観とオーバーラップするなぁということ。
そもそも思考自体が電気信号で、その回路が過去の経験によってある程度決まってくるなら、プログラムにある程度の揺らぎを加味することで、機械にも人間と同様な思考ができると考えることはとても自然なことだと気づかされる。
現実とヴァーチャルの境目が無くなるなんて表現があるけど、そもそも境目が必要なのか?と根源的なところがあって、リアルとかヴァーチャルとかって言葉が死語になる日が来るのかも知れない。
個人的には非常に興味があるけど、それが実現するまでは生きていられないだろうな。
ひとつ危惧されるのは、人とコンピュータの融合(他に言葉が見つからず)について、生理的に受け付けない人が多数出てくるだろうなと想像できること。
融合が実現する過程において、そういった人たちが研究の邪魔をしない社会になって欲しいのだけど、その抵抗は「リアル」の断末魔かも知れない。
なんてことを感じた本でした。
『僕ならこう読む』を読んでみた
タイトルから得る印象と、実際に著者が意図したものとギャップを感じた本だった。
決して否定的なものでなく、さすが佐藤優さんの著作だなという印象。
タイトルからしたら、読書術みたいにとれるけど、確か他作で読書術系の著作はあったはずなので、同じような執筆はしたくなかったはず。
とても強く感じたのは、人の弱さであって、それをどのように認めて、どのように対処するべきかを伝えたかったのかなってこと。
思い浮かんだ言葉は
最近の風潮だと、この2つの言葉って、あまり良い印象でつかわれないのだけど、ワタシが感じたのは、この言葉の意味するところは人にとって不可分なのだから、それを認識したうえでどうするべきかを、きちんと考えて行動することが大切なのだということ。
坂口安吾の堕落論が紹介されていて、検索したら無料で配布されていたので、即DLしたところ。
まだ、チョットしか読んでないけど、結構ココロつかまれる表現に惹きこまれた。
残念ながらワタシの脳は、一度読んだ本の内容をきちんと記憶できないので、手元においといて、何度か読み返したいななんて思わされた本だった。
『円高・デフレが日本を救う』を読んでみた
先日の『リフレはヤバい』を読んでみたに続いて、同じ著者の2冊目。
やっぱり、最初(ほぼ前半部分)は、「何言ってるのかなぁ・・・」と言った内容だった。
ただ、前回読んだ本で、著者の言いたいことは何となく理解できていたこともあったので、後半部分は「なるほどぉ!」と考えさせられる部分も多かった。
もしかしたら、ワタシは騙されているのだろうか?と、自分で自分をツッコミたくなるのだけど、吉崎さん・広木さんあたりから名前が出てくるぐらいだから、あながち(誤用)賛同できる部分があってもいいのでは?とも思う。
根底にある考え方は「リフレ~」とほぼ同じ。
いくつか面白い(あぁ、そうだよねと思ったところ)は次のとおり(ネタバレ注意!)。
・国の借金を否定するものではないが質が悪い。
・質の高い労働力が不足している(イノベーションを起こせる人材がいない)
・景気対策は既得権益を守ってしまうので、新陳代謝によるスパイラルアップが望めない
・日本は成熟経済なのだから、フローからストックの活用に移行すべき。
・国が景気対策を行ってもフローを生み出すだけで、国力となる投資を生み出す能力がないので一時しのぎの効果しかなく無駄である。
・現在の日本の雇用形態を抜本的に変革することで、フレキシブルな社会を生み出すことが必要(正規・非正規の区別をなくす。どちらかと言えばすべて非正規にする)
・通貨の変動に惑わされてはダメ。柔軟に対応できる企業が強い。
・利益は円換算で計るのは大きな間違い。
・フロー重視では、新興国との競争になるので絶対に勝てない。だから、輸出は知的財産や技術などのモノ以外にするべき。
・商品開発はその土地・地域のニーズに合わせるべき。その上で日本ブランドを活用する。日本で作ることが日本ブランドなのではない(アップルとシャープの対比)
この本を読んでみて思ったのは、有権者がアホであるという認識が抜けいてるということ。
この本の主張を実現するためには、強力なリーダーシップが必要になるけれども、2017の都議選のように、ブームで都ファが躍進してしまうような有権者では、そもそもまともな政治家を選択できないので、強力なリーダーシップを発揮できる政治家を選べないというジレンマがあるはず。
この視点から見れば、現在取られている政策は、この辺を加味したうえでの政策であって、理想とはかけ離れたものであるのだろうけど、仕方なしに選択しているとも考えられる。
だけど、理想は理想として認めることで、新たな議論の素地にもなるのだから、小幡さんの主張を切り捨ててしまうのは、もったいないなというのが読後の感想。
財務省vsマスコミ
財務次官の件で、連日マスコミがヒートアップしているけど、どこまで本気でツッコもうとしているのかに興味がある。
朝日新聞が、当初記事にするのをやめたことは、まさに忖度であって、この先のことを考えたうえでの判断だったのでしょう。
ただ、他のマスコミも追随してきているので、ここは勝負に出ようと決意してアピールに出た気がする。
今、マスコミがタッグを組んだかのように一斉に報道競争をしているのは、どこかに引っかかるものを打ち消すための行動のように見える。
この引っかかるものについて、この事案の始まりの頃には識者と呼ばれる人たちも発言をしていたけど、昨日あたりからはベクトルを変えて右へ倣えの様相となってきているのは、口は災いの元であることをまさに認識しているからなのかな。
基本的にはマスコミに対して否定的なのだけど、今回のこの一連の報道を見ていると、この先のマスコミにおける政治や経済系の分野って壊滅的になるのではないかと危惧する。
確かに、ここまで来てしまった以上、財務省を叩くしかないのだろうけど、政治や経済を真面目に追っている記者たちは、どう感じているのか思いを馳せる。
そもそもマスコミには期待をしていないけど、存在が必要な部分があることは分かる。なのに、その存在を壊してしまいかねない一歩を踏み出してしまった気がするのは、ワタシだけではないはず。
今回のことは、ノーパンしゃぶしゃぶの事件とは別次元のもので、そのことを認識している人もたくさんいるのだろうけど、口に出さない(出せない)状況に陥っていることに、不安を覚える。
『リフレはヤバい』を読んでみた
双日の吉崎さんとマネックスの広木さんのブログで「小幡績」の名前が出てきたので興味を持ち読んでみた。
正直なところ、最初に著作を検索したときにありえないようなタイトルが出てきたので、「なんじゃこりゃ?」と思い読むのをやめようかと思ったのだけど、尊敬する両名から出てきた名前なので、意を決して読んでみた。
前半は、やはり「これはチョットなぁ」といった内容で、読むのがつらかった。
世論の醸成には反対意見も大切なので、その役目を買うために上梓した本なのかなとも思ったのだけど、力に対して何でも反対する人からお金を巻き上げるための本なのでは?なんて邪推してしまう内容。
けど、最後の最後になって、著者の言いたいことが分かって、ホッとした。
恐らく、この本の言いたいことは、
・日本はもはや韓国や中国のように、成長を原動力に国力を増していく国ではない。
・なので、これから成長する国に投資をすることで、その上がりを元に国力をつけるべき。
・そのためには強い円でなければならない。
と、言うことなのだと思う。
確かに、これからの日本は人口が減少していくことから、積極的な移民政策をしない限り国内の需要は伸びないのだから、内需で成長することは難しいはず。
そして、これからまだまだ成長するであろう韓国や中国を相手に競争するには、国力が減少していく日本では、どんなに頑張っても無理があるので、外需頼みは危険だということも分かる。
なので、これからの日本が伸びていくためには、すでに投下した資本の有効活用とこれから投下する資本の効果的な運用が不可欠であるとの結論は、なるほど!とうなずくことができた。
今のアメリカが、その手法で大きくなり、現在もその力を増しているのは分かるのだけど、今の日本でそれを実現するためには、
・まっとうな政治家の擁立
・まっとうな政治の確立
・まっとうな思考力を持った有権者を育てる
・グローバルな舞台で戦える経営者を育てる
この辺のことが必要になってくるはず。
これって、どう考えても無理があるよなぁって感じてしまうのが実際のところ。
著者の主張には賛成するところもあるけど、現状の日本でこの本の主張を展開するのは結構大変なことなのでは?と、考えさせられた一冊でした。
『読書の価値』を読んでみた
この本、気を付けないといきなり噴き出す可能性があるので、特に電車の中などで読むときは注意が必要です。
著者の独特の表現に、ファンならばまず間違いなくやられます。
この手の本って、たいがいHowToだったりすのるだけど、「そんな本書くかな?」と思ってたら、一部そんな表記もあるけど全般的にはエッセイですね。
そして、ところどころにちりばめられている笑いが光ります。
本を読む人ってそんなに少ないかなぁ?って思ってた。
電車に乗ると、ほとんどの人がスマホをのぞいているけど、それでも視界の中には一人二人は見かけるから。
そこで、なんとなくとある自治体の図書館の利用状況を調べてみたら、一年間のユニークな利用者は、およそ人口の1/5だった。
そして、年間の貸し出し数は利用者数の50倍もあるので、おそらくヘビーユーザーが相当数回転していると考えると、日常的に図書館を利用している人ってかなり少ないのかな?。
50倍の中には雑誌や視聴覚資料を含むので、書籍でとらえれば利用される本はもっと少なくなるはずだから、一般的な市民が図書館で本を借りる数を平均すると、年間では小数点以下の点数になることは想像できるので、著者の指摘する数値はそのとおりなのかも知れない。
この間、ある出版社が図書館に文庫本の貸し出しを制限して欲しい旨の主張があって、ニュースになっていた。
今までも、図書館による資料の貸し出しが、著者の利益に影響しているといった議論があったけど、これが出版界から出てくるあたりは、かなり厳しい状況におかれていることは想像できる。
コンビニにいっても雑誌コーナーがとても縮小していて、これも業界の厳しさを表しているはず。
個人的には業界がどうなろうとどうでもいいのだけど、コンテンツを提供してくれる著者が減る可能性があることと、そのリンクが切れてしまうのは困るなというのが印象。
情勢の変化とともに歪みが生じれば、アービトラージを狙って新たなサービスが生まれてくるのだろうけど、時代の変化に取り残され気味の出版界と完全に取り残されているであろう図書館界は、この先どうなるのかなって、そんなことを考えた一冊だった。