誰々が何を言ったとかどうでもいい

新型コロナウィルス関連の記事で、それなりに名のある(単に有名というだけだけど)人が、「〇〇〇と言った」とかどうでもいいネタが溢れてる。

 

そういったどうでもいいネタに、必要な情報がかき消されてしまうことにイラつく。

 

 

声の大きい人ほど、知識や技術を持った人ではなく、単に売名をしたいだけの発言が多い。

 

マスコミも広告収入を得たいばかりに、そういったネタをこれでもかというぐらい流してくるこの現状に辟易とする。

 

 

サイレントマジョリティーを掴まないと、マスコミの未来は無いと思うのだけど、これが資本主義の限界なのか?

マスメディアの凋落が止まらない

結果的に、自分で自分を貶めていることに気付いているはずなのに止められないのは、自分自身がそれを生業としているから?

 

それにしても恥ずかしいという概念さえも忘れてしまったと言わざるを得ないと思う。

 

権力の監視と言えば聞こえはいいけど、権力者の発言の上げ足を取って、それを自分の収入に転嫁する状況は、傍から見ていて悲しくなる。

 

 

百歩譲って、それを望んでい視聴者や読者がいるから、その期待に応えているのだという論理は分からなくもないけど、それは権力の監視なのですか?本質を探る行為なのですか?と、小一時間問い詰めたくなる。

 

 

今、彼国との軋轢が色々ネタになっているけど、そういう国民性になるように仕組んできた結果が、現在の彼国の現状なのであって、それを報じる日本のマスメディアも、同じようなものだよね。

 

彼国を糾弾しておきながら、やっていることは同じという、悲しい現実。

 

投票率を上げることに意味はある?

選挙に行こうキャンペーンや投票時間の延長など、投票率を上げようとする試みが見られるけど、実際のところ投票率が上がることによって良いことってあるのかな?って、ふと考えてしまった。

 

投票率が上がることによって、広く民意を反映させることができるというのが、第一義的なところなのでしょうけど。

 

確かに、投票率が上がれば上がるほど、実態に即した結果につながるけど、それって良いことなのかな?と考え込んでしまった。

 

 

大切なのは、投票に行くことの意義を浸透させることのほうが先であって、その結果投票率が上がるのは良いと思うけど、単純に投票率を上げることを目的にすることは、何かが違う気がするのはワタシだけなのか?

 

 

まぁ、ワタシの思考回路がショートしているのは、今に始まったことではないけどさ。

『自己矛盾劇場』を読んでみた

タイトルに惹かれて手に取ってみた。

厚さと文字数の割に高価格。

でも内容は、私にとって高価値だった。

 

この著者の他の著作を調べると、何となくつながりが見えてきて、伝えたいことを様々な視点から表現しているような印象を受ける。

 

そして、興味深いのが、抽象の概念を具体的に表現しようとしていること。

これは、恐らく読者に伝えるための著者の工夫なのだろうけど、だいぶ苦心されたのではないかな。

 

内容が内容だけに、表現すればするほど、まさに自己矛盾に陥りがちになるので。

 

「メタ」と「抽象」この2点が、本書の骨格でしょう。

 

とても面白かったので、他の著作も読んでみようと思う。

 

 

そんなに保釈される時の映像を見たいか?

今、先日麻薬関係で逮捕された芸能人が、保釈されるらしくニュースで流れていた。

 

映像では、その瞬間を捉えようと、マスコミ各社が警察署の前で構えている様子が見て取れたけれど、そもそも視聴者はその映像を見たいのか?

 

保釈されるときの映像を配信することの意味って何?

 

視聴者が、それを望んでいるとでも思っているの?

 

 

何となくだけど、マスコミが被疑者を誤らせたいという意思を感じる。

 

視聴者はそんなことを求めていないけど、マスコミの論理としては「視聴者が被疑者が謝る姿を見たいから、それに応えているのだ」ということなのかな?

 

 

何だか、あまりにも視聴者をバカにしている気がして、気分がすぐれない。

 

まぁ、イヤなら見るなということなのだろうけど。

 

 

それにしても、警察署の前で異様なほどの数のマスコミが陣取っている様子は、異様さを感じる。

 

 

他に、やることはいくらでもあると思うのだけど。

 

 

雫石の水道が止まる件

ニュースでいろいろ煽っているけど、

 

何が問題ですか?

 

 

そこに居る人は承知の上で居るはず。

そこに住んでいるのだから、その地域の実態を調べているはずでしょ。

 

勝手に過疎地に住んで、

「私がここに住むと決めたのだから、行政は水道を引かなければならない!」

なんて意見が通るはずがない。

 

その少数派のために、多くの納税者が負担をすることは道理が通らないはず。

 

確かに、そういう対応をする自治体もあるけど、雫石はそうではなかったってことでしょ?

 

知らなかったからというのかもしれないけど、それならばすべての犯罪者は法律を知らなかったからで許されるはず。

 

それを承知で済んでいるのに、

「何をいまさら」

って思うのだけど。

 

 

 

こう言う意見はマイノリティでしょうか?

 

自由であることに対しての自己責任をはき違えている気がする。