バブルか?ハイパーインフレか?

いずれにしても残されたものは、それしかない気がしてきた。

 

ここまで、世界中で一斉に果てしない規模のバラマキを借金で始めたのだから、収束するためにはそれしかないような。

 

できれば、バブル後にハイパーインフレが来てくれれば、まだ逃げ道はあるけど、いきなりハイパーインフレが来たらチョット怖い。

新型コロナウィルスの終息って・・・

ワクチンができることor大衆免疫ができること以外にないんじゃないかな?って思うようになった。

 

ただ、この一連の騒ぎって、死亡率を低下させる薬が見つかれば、それで一段落になるんじゃないかなって思うんだけど、何かが違う?

 

未だに風邪やインフルエンザがあるのだから、その一環と捉える動きが出てきそうな。

 

 

 

だから、意識するべきはウィルスの終息ではなくて、騒ぎの収束のような気がする。

コロナ後のハイパーインフレ

経済の縮小に伴って、「保障」やら「給付」やらいろいろ意見があるみたい。

 

日本でも、「ケチ」とか「不公平」だとか、批判の意見が多いようす。

 

まぁ、確かに現金は欲しいだろうし、それよりも明日のコメを買う金が欲しい人も多いはず。

 

なので、一律に現金をたくさん配れ的な主張が多くなるし、そういう報道するマスコミが多くなるのもわかる。

 

 

 

ただ、今世界中で現金給付の議論・実行がされていて、この騒ぎが収まった後のことについての考察に出会ったことがない。

 

 

冷静に考えれば、これだけの騒ぎで世界中で一気に現金を配ったら、ハイパーインフレを心配する人はいないのかね。

 

もちろん、そんなことをいっている場合ではない!という、意見はわかるけど、ハイパーインフレがきたら、それはそれで「そんなことを言っている場合ではない!」になるはず。

 

 

現金を配る方にしてみれば、借金をして配るわけだから、ハイパーインフレがくれば一発で帳消しになるので、そんなことを考えているのかな?なんて、疑ってもみたくなる。

 

ただ、そうなったとき、貯金をしている人(多くの日本人!)は、総崩れになるよね。

 

 

これ、どこかで誰かが主張を始めないと危険なのでは?と、結構本気で思う。

 

 

事態が鎮静化していないのに、最近の株価(世界中で!)が反騰しつつある状況に、一抹の不安を感じる。

 

 

 

誰々が何を言ったとかどうでもいい

新型コロナウィルス関連の記事で、それなりに名のある(単に有名というだけだけど)人が、「〇〇〇と言った」とかどうでもいいネタが溢れてる。

 

そういったどうでもいいネタに、必要な情報がかき消されてしまうことにイラつく。

 

 

声の大きい人ほど、知識や技術を持った人ではなく、単に売名をしたいだけの発言が多い。

 

マスコミも広告収入を得たいばかりに、そういったネタをこれでもかというぐらい流してくるこの現状に辟易とする。

 

 

サイレントマジョリティーを掴まないと、マスコミの未来は無いと思うのだけど、これが資本主義の限界なのか?

マスメディアの凋落が止まらない

結果的に、自分で自分を貶めていることに気付いているはずなのに止められないのは、自分自身がそれを生業としているから?

 

それにしても恥ずかしいという概念さえも忘れてしまったと言わざるを得ないと思う。

 

権力の監視と言えば聞こえはいいけど、権力者の発言の上げ足を取って、それを自分の収入に転嫁する状況は、傍から見ていて悲しくなる。

 

 

百歩譲って、それを望んでい視聴者や読者がいるから、その期待に応えているのだという論理は分からなくもないけど、それは権力の監視なのですか?本質を探る行為なのですか?と、小一時間問い詰めたくなる。

 

 

今、彼国との軋轢が色々ネタになっているけど、そういう国民性になるように仕組んできた結果が、現在の彼国の現状なのであって、それを報じる日本のマスメディアも、同じようなものだよね。

 

彼国を糾弾しておきながら、やっていることは同じという、悲しい現実。