ノイジーマイノリティとサイレントマジョリティー

最近、議員や有名人のゴシップネタが目につく。

「〇〇砲炸裂!!」とか。

 

まぁ、有名な人は、有名税を払わずを得ない部分は少なからずあるだろうけど。

 

誰にだってパブリックとプライベートの使い分けはあるはずなのに、コッソリ付け回した挙句にプライベートを覗き見て、それを大衆に晒すことの陰湿さに幻滅する。

 

そもそもマスコミって報道の自由を謳うけど、ゴシップを見つけてさらすことが、国民の知る権利を守っていることになるのか疑問に思う。

 

確かに揚げ足取り取られるようなことをしている方にも責任はあるけどさ。

 

 

さっきネットを徘徊していたときに、最近ネタをあげられた人のツイッタに行きついた。

チョットのぞいてみたら、近況報告みたいなことをしているようだけど、そのツイートに対するリツイートが愕然とするような内容ばかりで、チョット怖さを感じるくらいだった。

自分の行動に対する責任はあるけど、そのことはその本人が対処すべきことであって、それを全く関係ない第三者がワーワー喚き散らすこの社会って何?と感じる。

 

ただ、これって多くの人がやっていることなの?と疑問が。

少なくともワタシの周りでそれをやってそうな人がいないから(実際のところは分からないけどさ)。

そこで「あぁ、これってノイジーマイノリティってやつかも」と感じた。

さも一般論をぶっているように主張するごく一部の少数ってやつ。

 

マスコミって、このノイジーマイノリティが騒ぐことを世論みたいに捉えてて、おそらくこの少数に対して作品を提供(作品って言っても良いような気がする)するから、多くの冷静な多数は離れていってしまうのが現状なのかと。

特にテレビの在り方にはうんざりする。ゴールデンタイムのNHKでさえうんざりするようなコメントを連発するし。

 

何で読んだのか聞いたのかは忘れたけど、どこかの社長が「一番怖いのはお客様が不満を持った時に、何も言わずに二度と来てくれなくなること」言っていた。

多くの人って何か不満があっても、それを主張せずに流してしまうかわりに、その原因には二度と近づかなくなる傾向があると思う(特に日本人なんだろうけど)。

 

このサイレントマジョリティーに目を向けないと、特にマスコミ関係は廃れていって、インターネットに取って代わられてしまうのではないかと(どうでもいいけど)。

 

そもそもインターネットで人気のあるコンテンツを、テレビの放送で利用するって本末転倒だし、制作側に気概は無いのかと思わせる。

 

まぁ本来は誰もが自由に発言できる環境の醸成が必要なんだろうけど、実際には千年経っても無理だろうなぁ。

もしそんな環境が来るとしたら、それは人間がアイデンティティを失ったとき、もしくは失うことができたときのような気がする。