『シャーデンフロイデ』を読んでみた

前回の記事の「辞任は責任を取ることになるの?」で疑問に感じていたことが、この本で理解することができた。

 

ある意味ビックリ!

 

人間が生きていくため、もっと言えば種の保存のために備えた機能が原因になっていることが説明されていた。

もちろん、それぞれの考え方や感じ方にバラつきがあることは当然なのだろうけど、そもそもが本能に近い部分で制御されているらしいことに、ある意味愕然とするとともにチョットだけ悲しさを感じた。

 

向社会性は、現在の人間社会の形成に必要不可欠であることは理解できる。

残念ながら、その向社会性が人の足を引っ張る行為にも影響していることは、現時点では仕方のないことらしい。

でも、人には本能を制御しながら考えるという技術があるのに、それを放棄して感情に任せた意思表示をしてしまうことは何とかならないものなのかな・・・

 

せっかく考えることができる能力があるのにも関わらず、外部からの刺激に対して反応で応えてしまうことは人としてもったいないし、残念でしかない。

 

これって、教育で何とかならないものかなぁ。

それやったら、洗脳とかって言われちゃうのかなぁ。

世代が進めば、進化として変化するのかなぁ。

 

 

一人ひとりが考えるって行為について、もっと関心が持てないものだろうか?なんて考えてしまった。