新型コロナに対する報道と政治の違和感

今日も新型コロナの感染者が増加したと、マスコミが狂ったように報道している。

 

罹患してもほとんどの人が無症状~軽症の病状のものに対して、どうしてここまで神経質にならなければいけないのか理解に苦しむ。

 

確かに、軽症で済まない人がいることはわかるけど、それは他の病気でも同じこと。

 

このマスコミの報道姿勢は、資本主義を選択している国である以上、視聴率の確保の必要性は理解するけど、それが経済活動を委縮させて、結果的に自らの首を絞めることになるという、ある意味自虐的な活動が理解できない。

 

単純に、アホな視聴者がそれを求めているからというロジックからくる選択なのかもしれないけど、このインターネットが主流となりつつある環境で、自らを貶める行動は、なかなか趣深い。

 

 

そして、謎なのが政府の行動。

 

このマスコミの狂った報道を放置している理由は何なのだろうと考えてみた。

 

唯一導き出せるのが、ワクチンを購入する理由付けになるからかと。

 

マスコミを抑制して、政府が「みなさん、慌てるな!。新コロに罹ってもほとんどが問題ないし、リスクが高いといわれる高齢者でも、今となってはほとんど死ぬことはない状況なのだから!」と言い始めた場合、ワクチンを購入する理由がなくなってしまう。

 

これは、米国・英国と約束した購入計画を反故にするわけにはいかないので、輸入が始まるまでは、新コロを恐怖の対象に位置付ける必要性があるはず。

 

そして、輸入が始まった以降で接種を希望しない人は、自己責任の言葉が使えるので、それは政治家にとって非常に良い環境になる。

 

そう考えると、マスコミのこの狂った行動は、政府にとって都合のいい環境になるので、そういった思惑が働いているのでは?と勘ぐってしまう。

 

 

個人的には、そんなとこだろうと思うのだけど、仮にそれが本当だった場合、浮かばれないのが自殺者。

 

経済の委縮が自殺者の増加に結び付くことは、以前から指摘されているけど、この理由としての困窮は恐らく違ってて、離職をはじめとする社会からの断絶が原因だと思う。

 

人が一番堪えるのは、自らの存在を否定せざるを得ない環境になるときのはず。

 

社会性の必要を遺伝子に刻み込まれてしまった人には、生きていく意味を失ったときの絶望に耐えられないのかと。

 

 

比較的力を持った人たちの思惑が、新型コロナによる死者数を上回る自殺者を生んでいる状況が切なくてやるせない。