組織の活性化の方法

現在、組織に所属していないワタシの発想なのだけど、今から思えばワタシが所属していたところって、マンパワーで課題をこなしている印象があった。

 

もちろん、そのマンパワーには多種多様な人がいて、提示された課題に対して向いている人、向いていない人など、およそ適材適所には縁遠い環境でプロジェクトを進めていかなければならない状況が多かった。

 

なので、メンバーの能力(適正?)に合わせて、作業を振り分けるので、結果的に総合力で課題に取り組む方向性だった気がする。

 

これって、恐らく足し算の発送なんだよね。

 

最終的に出来上がったものは、クライアントの要望以上のものにはならなかったはず。

 

 

たぶん、これからの時代って、組織のマネジメントの一つとして、メンバーの特性を掛け算して運用する必要性が出てくるのでは?と感じたのが、この記事を書くモチベーションになった。

 

 

本来の効率化って、「削る」のではなく「生み出す」もののような気がする。

 

・手順を減らす方法を考えるのではなく、別のアプローチから手順を開発する。

・作業を改定するのではなく改革する。

などなど。

 

そのためには、やっぱり新しい発想が必要になるので、それを実現するには個々の特性を積み上げるのではなく、掛け合わせることで生まれるものがあるんじゃないかな?って、漠然を思いついた。

 

今の言葉でいうと、「アジャイル」?

 

 

なんか取り留めのない文になってしまったけど、ワタシのメモとして残してみた。

 

 

バブルか?ハイパーインフレか?

いずれにしても残されたものは、それしかない気がしてきた。

 

ここまで、世界中で一斉に果てしない規模のバラマキを借金で始めたのだから、収束するためにはそれしかないような。

 

できれば、バブル後にハイパーインフレが来てくれれば、まだ逃げ道はあるけど、いきなりハイパーインフレが来たらチョット怖い。

新型コロナウィルスの終息って・・・

ワクチンができることor大衆免疫ができること以外にないんじゃないかな?って思うようになった。

 

ただ、この一連の騒ぎって、死亡率を低下させる薬が見つかれば、それで一段落になるんじゃないかなって思うんだけど、何かが違う?

 

未だに風邪やインフルエンザがあるのだから、その一環と捉える動きが出てきそうな。

 

 

 

だから、意識するべきはウィルスの終息ではなくて、騒ぎの収束のような気がする。

コロナ後のハイパーインフレ

経済の縮小に伴って、「保障」やら「給付」やらいろいろ意見があるみたい。

 

日本でも、「ケチ」とか「不公平」だとか、批判の意見が多いようす。

 

まぁ、確かに現金は欲しいだろうし、それよりも明日のコメを買う金が欲しい人も多いはず。

 

なので、一律に現金をたくさん配れ的な主張が多くなるし、そういう報道するマスコミが多くなるのもわかる。

 

 

 

ただ、今世界中で現金給付の議論・実行がされていて、この騒ぎが収まった後のことについての考察に出会ったことがない。

 

 

冷静に考えれば、これだけの騒ぎで世界中で一気に現金を配ったら、ハイパーインフレを心配する人はいないのかね。

 

もちろん、そんなことをいっている場合ではない!という、意見はわかるけど、ハイパーインフレがきたら、それはそれで「そんなことを言っている場合ではない!」になるはず。

 

 

現金を配る方にしてみれば、借金をして配るわけだから、ハイパーインフレがくれば一発で帳消しになるので、そんなことを考えているのかな?なんて、疑ってもみたくなる。

 

ただ、そうなったとき、貯金をしている人(多くの日本人!)は、総崩れになるよね。

 

 

これ、どこかで誰かが主張を始めないと危険なのでは?と、結構本気で思う。

 

 

事態が鎮静化していないのに、最近の株価(世界中で!)が反騰しつつある状況に、一抹の不安を感じる。

 

 

 

誰々が何を言ったとかどうでもいい

新型コロナウィルス関連の記事で、それなりに名のある(単に有名というだけだけど)人が、「〇〇〇と言った」とかどうでもいいネタが溢れてる。

 

そういったどうでもいいネタに、必要な情報がかき消されてしまうことにイラつく。

 

 

声の大きい人ほど、知識や技術を持った人ではなく、単に売名をしたいだけの発言が多い。

 

マスコミも広告収入を得たいばかりに、そういったネタをこれでもかというぐらい流してくるこの現状に辟易とする。

 

 

サイレントマジョリティーを掴まないと、マスコミの未来は無いと思うのだけど、これが資本主義の限界なのか?