希望の党の失速について
衆議院議員選挙が終わってみれば、あれだけ勢いのあった希望の党の失速が鮮明となった。
希望の党から新人として(前・元議員ではなくということ)立候補した人で当選した人って何人いるんだろう?
失速の原因として、民進党のリベラル派と称される人たちを「排除」という言葉を使って公認しなかったことと、自らが立候補しなかったことが挙げられている。
「排除」の言葉を初めて聞いた時に、「随分ときつめの言葉を使うんだなぁ」と感じたけれど、「まぁ当然だろうな」と思った。
だけど、この「排除」の言葉に随分と噛みついた人たちがたくさんいて、そのことに驚かされた。
そもそも民進党がうまく回っていなかったのは、ベクトルの違う人たちが無理をして一緒にいたからなので、その原因を引き継いでしまったら、折角新党を作った意味が台無しになってしまうはず。
全員を公認してくれと言うこと自体おかしいし、公認を期待していた当時の現職の矜持の無さにも幻滅する。
その後、それではってことで立憲民主党ができたけれど、枝野さんがそれを宣言したときは「遅きに失した」と感じていた。
本来なら、民進党の前原さんが希望の党と合流するといったときに、「そんなのありえない。だったら独立する」と言って立憲民主党を立ち上げたのならば当然だろうなと思うけど、「排除」の言葉によってあぶれて行き場を失った議員を救うために立ち上げた政党にしか見えなったから(事実そうだろうけど)、今さら新党立ち上げても遅いでしょうと。
なので、都議選の勢いからしてみても希望の党はそこそこ伸びるのでは?と感じていた。
これがフタを開けてビックリ。「排除」の言葉に有権者が反発したのか、希望の党が全然ダメで新人がほとんど当選していなかった。
これでは「元民進反リベラル党」と名付けても通ってしまうのではないかというような情勢に。
結果的には旧民進党が分裂して、新しい政党ではなく新しい名前の政党が2つできただけとなってしまった(あるべき姿になったと言えなくもないけど)。
今回のこの選挙で一番不思議なのは、有権者は何を求めていたのだろう?ということ。
都議選の時にはあんなに熱狂していたのに、同じ東京でまったく別の結果がわずか数か月で出るとは驚かされる。
しかも、小池さんとしては表現の良し悪しはあったにせよ、当然の判断を下したのであって、そんなに驚くことでも無かったはず。
もし本当に「排除」の言葉が良くなかったのであれば、選挙って何?と考え直す必要がある気がする。
ただ、あくまでも個人的には、今回のこの結果は「良かった」と感じているところ。
決して現与党が良いとは思わないけど、それ以外はあり得ないと感じていたから。
まぁ都民でないからどうでもいいけど。