『ペガサスの解は虚栄か?』を読んでみた

何年も前のこと。

「人間にとって感情って必要なのかな?喜怒哀楽でいえば少なくとも怒と哀は無くてもいいと思うんだけど・・・」

と、誰かと議論した記憶がある。

その議論の行きついた先を覚えていないんだけど、個人的に納得できなかった記憶だけが残っていた。

 

さっき、グーグル先生に同じことを聞いてみた。

すると、同じようなことを考えている人がいることが分かって、少しだけ嬉しくなった。

「こんな変なこと考える人が他にもいるんだなぁ」って。

その質問の回答の中に、感情は生命の維持に必要な原始的な要素から派生したと表した記事があって、

「あぁ、なるほど」と思った。

人にとっての不快なものって、生命維持になんらかの障害になりうるものに対してだろうし、その反対は障害から遠ざかった状態なのかなって。

 

この感情ってものは人間(もしくは人間と称されるあたりにおける進化の過程での生命体)が社会生活を営む術を覚えて行く中で、言語を習得する前において必要な能力(コミュニケーション)として進化(もしくは深化)させてきたのもかと考えてみた。

そう考えれば怒も哀も社会生活を営む上では必要なものだと理解できる。

だとすると裏を返せば、言葉が進化することによって、感情はいらなくなる可能性もあるってことか?

 

 

学習そして思考が深化することによって感情が生まれたのならば、小説ではあるけれども考えうる一つの未来の形なのかもしれないと思わされた一冊だった。

 

 

この本は、著者の森博嗣さんの過去の作品では見られなかった表現があって驚かされた一冊だった。

個人的にはいい表現だなと感じた部分があったのだけど、いままで著者があまり使ってこなかった表現だったので、もしかしたら読者サービス(本を売るための技法)の一端なのかもと勘ぐってしまった。

 

 

でも、おもしろかったなぁ。