リベラルの定義 保守の定義
今月予定されている衆議院選挙に向けて、希望の党の公認を得られなかった旧?民進党議員の身の振りに対して「リベラル系結集」との報道が目につく。
そもそも、このリベラルとか保守とかの定義ってとても曖昧なもので、時代の変遷とともに、その捉え方も変わってきていると思っている。
国民主権と言いながら、政治に対するリテラシー(誤用かも)のとても低い私たち(失礼!)にとって、これらの言葉をマスコミが率先して使うことに、ものすごい違和感を感じる。
同じ「リベラル」や「保守」の言葉一つとっても、恐らく朝日新聞と産経新聞では共通の定義でない気がするし。
私にとって、今日現在において注目されている、旧?民進党の枝野さんをリベラル派と呼ぶには抵抗があるし、「リベラル派を受け入れない」と宣言した、希望の党の小池さんを保守派と呼ぶことにもものすごく違和感がある。
憲法改正を主張している安倍首相を保守と呼ぶことも何か変な感じ。
自分なりに定義すると、大きな政府で既得権益保護を『保守』するのが保守派で、できもしない小さな政府を名目上目指して既得権益の打破を『自由』に叫ぶだけなのがリベラルかな。
イヤミすぎ?
いずれにしても、報道にあたってはもう少し気を使ってもらった方が、受け手側がキチンと理解できるような気がする。
『The Indifference Engine』を読んでみた
以前に呼んだ『虐殺器官』が面白かったので購入。
前回も感じたことだけど、この本もSFにカテゴライズするべきなのかなぁ?ということ。
「じゃぁ何?」と問われると、ボキャブラリの貧困な私には難しいけど。
興味深かったのは、人間(キャラクタのこと)を物理的に捉えていること。
死に対する概念が、読み手の私が抱いているものと違っている。
物語の中で「死」が出てくると、その場面における感情が表現されていることが多いけれど、この本というか伊藤計劃さんの作品では、それが感じられない。
だからこそタイトルが「The Indifference Engine」なのかも知れないけど。
この人間を物理的に捉えた表現は、森博嗣さんの「スカイ・クロラ シリーズ」「Wシリーズ」「M&Rシリーズ」に少しだけ通じるところを感じた。
そもそも人間の定義って何だろう?と思わせる表現に多く出会ったから。
脳の記憶や思考が電気回路なのならば、近い将来コピーが可能になる時代が必ず来ると思う。
現在はまだ確立されていないであろうから(希望的観測)SFとして分類することが可能なのだろうけど、これが現実となった時に問題となるのが人間の定義なのかなと。
「記憶や思考が出来なくなった肉体は人間ではない」と安直に考えてしまうけど、それって「この食卓にあるアジの開きは魚じゃない」と言っているのと同義になってしまうのであって、この辺が現在の人間の弱さじゃないかなと思う。
だから、人間を物理的に捉えることの意味について、あらためて考えてみようと感じた一冊だった。
日産の検査員問題?
新車の検査員が資格を持っていなかったということが分かって、日産自動車がマスコミを賑わせているよう。
確かに安全を担保するための仕組みとして、有資格者の検査が必要だというルールを定めたのであろう理屈は理解できる。
けど、結果としてそのルールを守らなかったことによって、何らかの不都合が発生したような報道は無いよう。
ルールを守らなかった日産自動車側に問題があったことは間違いのないことなのだけど、結果的に大きな不都合が発生していないのであれば、検査員が有資格であることを必要としない事実が分かったことにならないのかなぁ。
国が絡むとおそらく、国交省あたりが指導という形で文書を発行するのだろうけど、そもそもこのルールって必要だったの?という議論にはならないんだろうな。
今回のこの出来事をきっかけにして、これからの運営方法について改めて議論するなんて方向になれば、技術的にも行政的にも新たな進展が期待できるのかも知れないけど、国体を揺るがす事態と捉えられる可能性の方が大きい気がする。
政治とは(希望の党について思う)
政治って、力を再定義するための運用とそのコストかつ配分を決めるものであるから、政党もしくは政治家はその政策についてアピールするのだと思う。
選挙人はそれを聞いてマシなアピールに票を入れるのが選挙かと。
けど、前回の都議会選挙もそうだったけど、小池百合子さんの主張ってその政策について聞こえてこないことが不思議(マスコミが流さないだけかも知れないけど)。東京大改革って聞こえの良い掛け声は聞こえてくるけど。
都議選の時、都ファの立候補者にマスコミがビジョンを尋ねた時に、明確に回答することができない立候補者たちに票を入れてしまう都民に驚いたけど、今回の希望の党も同じような現象が現れてしまうのではないかと危惧してしまう。
アピールがない・ビジョンがない・政策がない候補者に票を入れるってどういうこと?
今回の総選挙で右往左往する民進党議員にも幻滅した。そもそも民進党を支持しているわけでないけど、矜持ってものがないのかと問いたくなる。
確かに議員になれなければ、自分の主張もできなくなるけど、自分の食費の確保のために、主張を捨てて(そもそも無いのかも知れないけど)東奔西走する姿は滑稽に見える。
モリカケ問題で首相の資質を問うていた人が、そもそも質問をする資質がなかったという笑えない出来事を作ってしまうような党だから仕方ないのか・・・
希望の党には、せめて公約の実現に対しての方法について明示して欲しい。そうでなければ選択のための検討材料がなにもないまま選挙になってしまうから。
でも原発ゼロなんて言ってしまっていいのかなぁ。これって政権を取れると思ってないから出てきたんだろうと思う。そう考えるとチョットズルイよなぁ。
ノイジーマイノリティとサイレントマジョリティー
最近、議員や有名人のゴシップネタが目につく。
「〇〇砲炸裂!!」とか。
まぁ、有名な人は、有名税を払わずを得ない部分は少なからずあるだろうけど。
誰にだってパブリックとプライベートの使い分けはあるはずなのに、コッソリ付け回した挙句にプライベートを覗き見て、それを大衆に晒すことの陰湿さに幻滅する。
そもそもマスコミって報道の自由を謳うけど、ゴシップを見つけてさらすことが、国民の知る権利を守っていることになるのか疑問に思う。
確かに揚げ足取り取られるようなことをしている方にも責任はあるけどさ。
さっきネットを徘徊していたときに、最近ネタをあげられた人のツイッタに行きついた。
チョットのぞいてみたら、近況報告みたいなことをしているようだけど、そのツイートに対するリツイートが愕然とするような内容ばかりで、チョット怖さを感じるくらいだった。
自分の行動に対する責任はあるけど、そのことはその本人が対処すべきことであって、それを全く関係ない第三者がワーワー喚き散らすこの社会って何?と感じる。
ただ、これって多くの人がやっていることなの?と疑問が。
少なくともワタシの周りでそれをやってそうな人がいないから(実際のところは分からないけどさ)。
そこで「あぁ、これってノイジーマイノリティってやつかも」と感じた。
さも一般論をぶっているように主張するごく一部の少数ってやつ。
マスコミって、このノイジーマイノリティが騒ぐことを世論みたいに捉えてて、おそらくこの少数に対して作品を提供(作品って言っても良いような気がする)するから、多くの冷静な多数は離れていってしまうのが現状なのかと。
特にテレビの在り方にはうんざりする。ゴールデンタイムのNHKでさえうんざりするようなコメントを連発するし。
何で読んだのか聞いたのかは忘れたけど、どこかの社長が「一番怖いのはお客様が不満を持った時に、何も言わずに二度と来てくれなくなること」言っていた。
多くの人って何か不満があっても、それを主張せずに流してしまうかわりに、その原因には二度と近づかなくなる傾向があると思う(特に日本人なんだろうけど)。
このサイレントマジョリティーに目を向けないと、特にマスコミ関係は廃れていって、インターネットに取って代わられてしまうのではないかと(どうでもいいけど)。
そもそもインターネットで人気のあるコンテンツを、テレビの放送で利用するって本末転倒だし、制作側に気概は無いのかと思わせる。
まぁ本来は誰もが自由に発言できる環境の醸成が必要なんだろうけど、実際には千年経っても無理だろうなぁ。
もしそんな環境が来るとしたら、それは人間がアイデンティティを失ったとき、もしくは失うことができたときのような気がする。
夏休み8日目
本当は朝方家に到着の予定だったのだけど、途中で意識を失いかけたので仮眠をとって帰ることにした。
宇陀からのルート
R359
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道の駅針テラス 非常に大きな道の駅 なぜか2度目 温泉もありお気に入り
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R25
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道の駅伊賀 国道にあるPA なぜか2度目 味噌やきうどんがおいしい 今回は店が終了のため食せず。
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亀山IC
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東名阪
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伊勢湾岸
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東名
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美合PA 意識を失いかける 仮眠
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富士川SA 朝食 なんどもこのSAに来ているものの富士山を見られたことがなかったけど、今回はこれでもかというぐらいはっきりと見ることが出来た。ウレシイ。
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駒門PA いつもここで水を汲んで帰るのだけど、今回初めて風穴に行ってみることに。
PAから歩いていけると何かのHPにあったんだけど、そんな案内見たことがなくて、どこにそんな案内がとよくよく見渡すとPAの外周に扉があり、その外側に案内看板があることを発見。PAとしてもアピールすればいいのにとも思うけど、あまり大きくないPAだから積極的にはできないのかも知れない。
扉を開けて外へ。PAなりSAから外に出るって経験したことがないのでなんとなく新鮮。
今日も日差しが強い。帽子をかぶってこなかったことを後悔する。
徒歩10分強くらいで到着。
住宅街の一角にあって不思議な感じ。
無料を祈ったけど、甘くはなかった。
怪しげな道を奥へ進むと地下へもぐるような形で風穴が見えてきた。
中に入るために階段を数段下りると空気が違うことを実感できる。
外気温が35度くらいあったかと思うけど、この風穴の入り口は10度くらい確実に空気が違っていた。
徐々に奥へ進むととってもヒンヤリ。とても8月の猛暑だということを忘れさせてくれる。
中は足元が濡れているけどすべることもなく歩くことが出来た。
この涼しさはエアコンと違ってとても気持ちがいい。ただ調子に乗っていると風邪をひきそうだけど。
いい経験が出来た。
いよいよ今回の旅行もこれでおしまい。
水を汲んで帰ろう!
今回のルート
夏休み7日目
今日こそ帰途につかねば!
そう決めてはいるものの、最悪でもあさっての日曜日には家についていればいいので、そんなに緊迫感はない。
朝食はよくあるバイキング。最近のビジネスホテルの朝食って競争が激しいのか、どこも充実していてありがたい。ここのホテルも十分な品揃え。
チェックアウト後、車に荷物を積んでから、レンタサイクルを借りに。
4時間で電動アシストが1000円だった。
奈良って坂が多いからアシスト付きじゃないとしんどい。
興福寺
営業所でもらった地図を頼りに春日大社方面へ。
なんとなくゆるやかな坂が続く。
右手に猿沢池。なぜか干上がっていた。もう少し坂を登って”興福寺”へ。
立派な五重塔。
宗教には興味がないけど、建築物には興味があるのでしげしげと見学。
ポスターによると、日程的にタイミングが良ければ阿修羅像が見られたよう。これは非常に残念。
春日大社
いよいよ春日大社へ。
たくさんの人が参道を歩いている。
言葉を聞くと、そのほぼすべての人が中国人みたい。
日本人の会話は全然聞こえてこない。
まぁ、日本人って他の人に聞こえるほどの大きな声で話をすることがないからかもしれないけど。
駐輪場に自転車を置いて徒歩で本殿を目指す。
受付で参拝料を支払うと、もうすぐ係りの人による境内の案内があるとのこと。せっかくなので、説明を受けることにする。
頭に藤の冠を載せた巫女さん?を先頭に見学開始。冠の藤はきっと藤原由来かな。
伊勢神宮ほどの威圧感というか神格化された雰囲気は感じられない。
あそこは別格なんだろうけど。
要所で参拝を促されるんだけど、宗教には興味がないのでただ立ち尽くしていた。同行の皆様を観察すると、賽銭を投入する人が半分。賽銭なしの参拝が9割といったところ。
ここも大量の中国人が。
大きな駐車場があったけど、大量のバスと大量の中国人で埋め尽くされていた。
この光景を見て思ったんだけど、アジア系の人ってツアーが多いなって。
日本人もそうだけど。
農耕民族の血なのか団体行動を好むのかもしれない。
反対にアングロサクソン系の人って単独で行動しているように見受けられる人が多い気がする。
農耕民族vs狩猟民族の行動様式なのかも。
個人的には無駄に大きいと感じるんだけど、これだけの大きさのものを作ったということは、それだけ当時の疫病・飢饉などによる影響が大きかったのだろうかと感じる。
柱のくぐり抜けに順番待ちの列ができていた。中学生の時に誰かがやっていたのを見た気がしたけど、昔と違うのは列をなしている人の9割が中国人だということ。
ありがたいことです。
正倉院
それにしても暑すぎる。首筋がヒリヒリする。焼けた背中は一部水膨れとなってる。
それでも自転車に乗って受ける風はとても心地がよい。内陸のせい?なのか空気が乾燥している。
中学生の時にみた正倉院。全然記憶がなかった。覚えていることは”校倉造り”と”ねずみ返し”の言葉と構造だけ。
千年以上もの時間が経過しているにも関わらず、現存していることはその技術はすばらしいものだったのかと。今は中は空だろうけど、宝物も現存しているのだから、その構造と機能もすごかったことを思わせる。
今の技術で千年もの時間耐えられる構造物ってできるんだろうか?
まぁ確かめる術はないけど。
ここまでで結構時間が経過していたので戻ることにした。
お腹も空いてきたので、坂を下りながら何を食べようか考える。
近鉄奈良駅近くまで戻ってきたので、商店街を散策。天理ラーメンに心惹かれる。
「前回も食べられなかったんだよなぁ」
「今回も食べられそうにないなぁ」
自問自答を繰り返しながらあきらめる。
JRの駅の近くに戻る。
”かすうどん”が目に入る。
「たしか関西・・大阪あたりのソウルフードだったよなぁ?」
スマホで検索。やっぱりそうらしい。
奈良名物ではないけど”かすうどん”に決定。店内へ。
エアコンが効いていて気持ちが良い。
冷たい水が命の水に感じられる。
メニューを見るとハーフサイズがあったので、それをオーダーした。
そもそも”かすうどん”って何だと思いメニューをよく見ると、ホルモンを揚げて油を抜いたものらしい。
たぬきうどんの天かすがタンパク質バージョンになったものかと。
なかなかおいしい。
油が強めなので、ネギのトッピングを足した方がよりおいしく感じられるかも。胃の容量が許せば、生卵と白飯も併せたいところ。
一息ついて店を出る。自転車のサドルがやけどしそうなぐらい熱くなっている。
自転車を返却。車に戻る。
高架下の駐車場にしておいてよかったと心から思う。
平城京跡へ
今回はどうしても平城京跡に行ってみたかったので車で移動。
地図で見ると広大な土地があって公園のようになっているかのような印象を受ける。
ナビをセットするまでもないけど、”平城宮”でセットして出発したところ、ナビが案内したところは跡地の北側で塀の向こうに大きな建物があるあたりだった。
到着したののの車を停められるようなところが見当たらない。
そろそろと進むと門を発見。警備のおじさまがいたけど入っていけそうなのでハンドルを切った。
何も言われず入場できた。右手に駐車場らしきものがあり数台駐車されていたのでそれに倣う。
車を降りるとものすごい熱気。見学をしようとする意思が試されているかのよう。
近くの案内看板を見ると”平城宮跡資料館”の文字が。とりあえずそこに避難を兼ねて入館。
自動ドアの先は天国のような涼しさがあった。
入館料は無料のようでありがたい。けど、これだけの施設の維持管理はどこからお金が?とも思ったけど、入館料で賄いきれるほどのものでもないし、この潔さが好印象。
入館すると目の前には数人のおじさま&おばさまが、久しぶりの獲物を見つけたかのように寄ってくる。
「こんにちは。こちらが施設の案内になりますのでお持ちください。それと・・・」
パンフ2枚と付近の案内図を表したペーパー1枚を渡された。それを受け取り奥へ進もうとすると何か話しながらついてくる。どうやら案内をしたいらしい。
基本的にほっといて欲しいワタシと案内したいらしいオバちゃまのせめぎ合いがつづいたが、根負けしたワタシは説明を受けることに。
「奈良駅のあたりから春日大社あたりまで上り坂が続いているでしょ?あれは天皇を上から見下ろすために藤原が埋め立てたものなのよ」
人の話は聞くものだと思った。この一言でこのオバちゃんの言葉に対して耳のシャッターが開いた。こういう年号の記憶とか知識としての歴史でなく、歴史が生まれた背景を知識として知ることは興味がある。家に帰ったら奈良時代のことを少し調べてみようと思う。
資料館では夏休みの自由研究が目的なのか、親に連れられた小学生を何人か見かけた。また、所長?なのか当時の官吏のコスプレをした人が、当時の生活や仕事について話をしていた。この人の話がメチャクチャヘタで途中で退散。外へ。
案内してくれたオバちゃんが「大極殿へ行ってみてくださいね」とのことだったので、向かってみる。
この平城宮跡はとても広く、案内図をみると資料館から大極殿まですぐなのだけれど、歩くと10分ほどあるらしい。暑くて気が遠くなりそうだったけど、何もないところにドカンと建っているものなので目立つし、きっと重要な施設なのかと思い向かった。
パンフレットによれば大極殿は儀式などに使われたものらしく、まぁ権威の象徴みたいなものなのかと。
やっと到着して施設へ。
資料館的な展示があるのかと思ったらそうでもなく、見晴らしのよさそうなところまで登れるようにもなっていなかった。すこし肩透かしを受けた気がしたけど、玉座のあたりまできて、平城宮跡全体が見渡せるところに立った時に、何故大極殿がここにあって、平城宮をここに定めたかが分かった気がした。ボキャブラリの不足を嘆きたくもなるけど、宮全体を一望できるこの場所は、当時の天皇が感じたであろう思いの一端を共有することができたかのような気分になることができた。
チョットだけ1300年前にトリップ。
きみごろも
さて、帰ろう。
とはならず、次の目的地へ。
昨日、奈良の名物やB級グルメ系の検索をしていたときに、”きみごろも”なるものがあることを知った。
「これは食べてみねば!」と思ったものの、駅などで売っているものではないらしい。
つまりネット上でこれだけヒットするにもかかわらず、奈良の駅で購入できないということは、地元の人がおすすめするものだと判断できるということ。
「行ってみよう!」となった。
宇陀というところにあるらしい。
地図で見ると結構遠い。40~50kmありそう。高速もない。チョット心が折れそうになったけど、ナビをセット。出発する。この時点で既に15時近い。
山越えのような道をナビが指示する。こんな山の中に店なんてあるの?と思わせるような道が続いた。
なんとか「松月堂」に到着。店もまだ開いていた。
車を店の前に停めて、きみごろもを4つ購入。なぜ4つかは自分でもわからない。
早速いただいてみる。
軽い。非常に軽い。メレンゲをうまく使っているらしい。
食感はなんとも形容しづらく、個人的には初めて口にした食感だった。
まぁフワフワとでも言えば伝わるのかな。
味の方は「う~ん」
正直評価しづらい。
平城宮から来たけど、往復100kmをこのためだけに来るのはチョットつらいかもしれない。といった感じかな。
ただ、ここに来なければ食べられないということに対する価値はあると思う。
道の駅大宇陀へ。土産物を物色。
吉野が近いらしく葛関係のものが多い。
ワタシが知っているくず餅とは違う感じがしたので、1つ購入してみた。
さて、ここに来る途中に大宇陀温泉なる看板を発見したので、寄ってみることにする。
まだ帰らないのかと、自分でも思う。
あきのの湯
道の駅から5分ほどで到着。
こんな山の中の施設なのであまり期待をしていなかったんだけど、結構立派な施設。期待が膨らむ。
お湯はアルカリが強いらしく、肌がツルっとするお湯だった。
まだ日焼け跡は痛いけど、日に日に良くなっている感じはする。
露天風呂に浸かりながらこの1週間を振り返ってみた。
あっという間だったけど、なんだかんだで色々あったなぁ。
1週間まるまる放浪したのって久しぶりだったので、とても楽しかった。ただあまり無理が出来なくなってきたよなと感じたのも事実かな。
ゆったりした気分で風呂から上がり、中庭らしきところで夕涼み。
とても風が気持ちが良い。
たぶんアスファルトの面積が少ないから昼間暑くても夕方には心地よい気温になるのかと思う。
ハンモックがあったので試してみたいなと思ったところで、係りの人が片づけに来てしまった。
チョット残念だったけど、またどこかの機会で試してみよう。
そう、そもそもこの温泉にはまた来るような気がするし。
さて、いよいよ帰りますか。
この時点で19時30分。