夏休み3日目
雨の音で目が覚める
今回の旅行は荷物を少なくするため、キャンプ用のエアマットを持ってきていなかった。
何となく体が痛く睡眠が浅かったこともあり、朝方うつらうつらしていると雨の音がしていることに気づく。
「なぜ?昨日スマホちゃんはこの辺の天気は”ハレときどきクモリ”っていってたじゃん!」
改めて検索すると昨日の表示が無かったかのように”クモリ”の表示。
まぁこれもまた人生かとあきらめてコーヒーを飲んだ。
しばらくすると雨もやんできた。
海岸にいることを思い出し散歩に出かける。
波の音が心地よい。
目の前には広い海。
視界に入る人の数は3人ほど。
これで晴れたら天国だなと確信し、自分の運に賭けることにした。
強運
やっぱり日ごろの行いはモノを言う。
10時ごろ急速に晴れてきた。急いで(急がなくてもいいんだけど)着替えるとともにクーラーボックスにビールを詰めなおして海岸へ。
波打ち際に着くと半径200M程の範囲に誰もいない。
目の前には青い海。
空からは強い日差し。
こんなパラダイスが日本にあるんだなぁと感激。
そうそうにビールを開けた。
海を眺めながらビールを飲んでいると気づいたことがある。
肩から背中にかけてと足の前面が痛い。
日本海側だからこその焼け方だった。
体が熱くなり冷やすために海に入ると、
「何て幸せなんだろう!」と実感する。
晴れた日に波打ち際で遠慮なくビールが飲めて帰らなくていいことが開放感を増幅してくれた。
3時間ほど過ごしたあと、酔いも回ってきたし日焼けも危ないかと思い、そうそうに退散する。
管理棟で水を浴びて潮を洗い流すと心地よい。
後片付けを簡単にすましてタープの下で午睡を楽しんだ。
体力が回復したところで夕飯に。
今日は買い出しに行かないよう、昨日のうちに購入した有り合わせのもので済ませる。
昼間あれだけ飲んだのに焼酎の水割りがおいしくて何杯飲んだだろう。
心地よさに包まれた時間だった。
このキャンプ場、幹線道路に近いこととJRの路線が近いこともあって貨物列車が多く通るため、自然の中にドップリといった感じではなかった。
ただ夜になったときにランタンに集まる虫が少なかったのがある意味良かった気がする。
ヒグラシの鳴き声が心地よい。
夏休み2日目
白馬の朝
朝、いつも通り5時台に気持ちよく起床。窓を開けると高原らしくさわやかな空気が部屋に流れた。
気分が良いので近くを散歩することに。
合宿の朝練でランニング中のワカモノ達に出会う。
「おはようございます!」
見ず知らずの私に挨拶をしてくれた。
体育会系っていいなぁっと、根っからの体育会系出身のワタシは嬉しかった。
20才で膝を壊したのでスキーをやっとことがない。
ので、スキー場に興味(スキーではない)があったので、動いていないリフトを見学に。
リフトって座るところが等間隔に並んでいるものだけど、動いていないリフトは最下方に座るところがまとめられていた。
「これどうやって等間隔に戻すんだろう?」などと考えながら付近を一回り。
気持ちの良い朝だった。
糸魚川へ
昨晩の残りで朝食を済ませ出発することに。
車で地図を確認する。
できれば富山方面へショートカットしたかったけど、道が無いらしい。仕方なく糸魚川を目指す。
運転しながら「糸魚川構造線」って昔習ったよな?と思い出した。
関連施設がないかなっとスマホで検索すると結構色々出てくる。
近くに「フォッサマグナパーク」という地層が見られるところがあるようなので、そこへ向かった。
フォッサマグナパーク
到着すると10台ほど車が止められるようになっていて7台ほど埋まっていた。
「こんなところを見学しようとする変わり者がいるんだなぁ」と感心しつつ断層へ。
10分ほど坂を登りようやく到着。正直なところパっと見断層がよく分からなかった。
でも、まぁ良く見ると西日本側が岩石っぽくて、東日本側が土っぽかった。
案内看板を見ると北アメリカプレートとユーラシアプレートのぶつかったところらしい。アメリカとヨーロッパの大陸の境目が日本にあるってすごくない?と一人興奮。
また日本自体が四つのプレートによってできていることも分かり地震の多さに納得。
どうでもいいことだけど、この境目の点線の上をまたいで写真を撮る人多いんだろうなと、そんな気がした。
駐車場へ戻る。途中行きも帰りも誰とも出会わなかった。
「あの駐車場の人たちはどこに?」と思い近くを見渡すと、駐車場の目の前が鉄道のトンネルの出入口だと気付いた。
どうやら撮り鉄であるらしいことを理解。
トンネルのあたりは当然立ち入り禁止になっているけど、そこに向かってケモノミチらしき跡がついていた。
まぁ気持ちは分かるけどほどほどに。
糸魚川駅
到着すると周辺の景色になじまない、ものすごく立派な駅舎。どこからこのお金が?と余計なことを考えながら構内へ入ると目の前には鉄道模型マニアにはたまらないであろうジオラマが。
日曜日だったこともあり、中学生らしきオタクちゃんが自分が所有しているだろう模型を持ち込んで走らせていた。
今の時代、自分の好きなことが明確なこどもって少ない気がするので、ある意味いいことなのかなって考えながらしばらくその姿を眺めた。
ジオラマ部屋の隣は最近まで使われていたらしい「キハ」が展示されていた。
なつかしい。
重い窓。狭いボックスシート。灰皿の跡。栓抜きの跡。扇風機。
時代を感じさせる内装が、最近まで利用されていたキハとは思えなかった。
土産物屋を物色したあと駅前を散策に。
そういえば糸魚川って去年あたり大変なことがなかったっけ?と思い出してフラフラしてみた。
駅からそう遠くないところでその跡を発見。言葉を失う。
もともと人口が減っているであろう所だし、もともとの住民も戻る意思がないのか、きれいに片づけられているだけで復興なんてありえるのかなという状況。
とても写真を撮る気にはなれない。
日本海へ
糸魚川を出発して、昼食時だったこともあり地元の回転寿しを探しながら日本海を西へ。
しばらく走ったところで道の駅を発見。立ち寄ることに。
なんてすばらしい道の駅(親不知ピアパーク)
目の前が海岸で、水場があって、駐車場が無料で、海産物が売っていて食べられる。
道の駅のなかには温泉があったり、宿泊施設が付帯していたりと充実しているところがたまにあるけど、ここも非常にすばらい施設のひとつだと断言できるというかしたいところ。
海岸に出てみる。
ワタシが良く知る太平洋側の海岸とは違い、水際が小石で形成されていてそれよりも内陸が砂浜となっていた。ので、波打ち際がとても澄んでいてキレイ。まぁ海水自体がきれいなんだろうけど。
この海岸ヒスイが拾えるところで有名らしいので、それっぽい石を探してみる。
なんだかみんなヒスイに見えてきて、自分の欲深さを思い知る。
久しぶりに海水に足を浸すと、とても気持ち良かった。
海ってこういうところだよなと思い出す。
お腹がすいたので売店へ。
岩ガキがでかい。私の手のひらよりもやや小ぶりな大きなものをチョイス。レモンをかけていただいた。
海の香りたっぷりで弾力満点のそのカキは、非日常を見事に彩る一品。
久しぶりの岩ガキが食べられて嬉しかった。
岩ガキだけでは足りないので食堂へ。
メニューを見るとタラ押しのよう。
季節柄いかがなもの?と思いつつ、タラ汁定食とタラの白子を頼んだ。
基本的にタラって出汁があまりでない魚だと思っていたので、このタラ汁を一口のんで驚き。
「うま!!」
タラって出汁が出るものだと初めて知った。日ごろ私が口にするタラとは質が違うのか、非日常がそう感じさせるのかは分からないけどおいしかった。
売店ではビールも売っているので、「この道の駅に泊まりたい!」との願望が。
検索するとやっぱりやっている人はいるよう。トイレもあるし車中泊を検討したけど、荷物が多く断念。近くにいいとこないか探すと、チョット先に海岸線に面したキャンプ場があることを発見。
なんとなく良さげな匂いがしたので確認に行くことにする。この時点ですでに16時を過ぎていた。ハイシーズンだし予約状況が気になったけど、日曜日のこんなところで(失礼!)いっぱいのハズはなかろうかと。
朝日ヒスイ海岸オートキャンプ場
到着後、管理棟にも寄らず、混雑具合と雰囲気の確認。
空き具合は十分。海岸線に出ると、これがもう絵に描いたようなパラダイス。
人が少なく海がきれいなこの場所は、私にとって今までで一番贅沢な海岸で、一番のお気に入り確定となった。
早速管理棟で手続きをする。
明日の天気が良さそうなので、ビーチでビールを夢見て2泊3日とした。
さっきまで知らなかったところで、いきなりキャンプを始めるこのワクワク感が好き。
久しぶりのテント張が楽しい。
一通り準備が済んだところでランタンを確認すると、
「点かない!」
振ってみる(意味なし)。
「点かない」
前回使ってから数年経っていることもあり電池が放電したかもと思い、管理棟で新しい電池を購入。入れ替えた。
「点かない」
チョット青ざめる。
振ってみる(意味なし)。
「点かない」
逆さにしてみる(意味なし)。
「点いた」
意味のない行動でも役に立つことがあるものだと驚いた。
接触が悪いようなので次回は新しいものと交換かなと。
だいぶ暗くなってきたので、急いで食料の調達に出かける。
食料を持たずにキャンプを始めるこの無計画さが楽しい。自由であることの証拠だから。
このあたりは富山県に入っているようなので、富山の地ビールと焼酎を購入。
ランタンの灯りのもと潮風と波の音に包まれて飲むビールのうまいこと。
憧れていた夢がひとつ叶った気がした。
2年ぶりの夏休み
西日本方面へ
去年は色々あったので、久しぶりに旅行に出かけてみた。
台風の影響がありそうだけど、この先1週間の天気がよさそうな西日本をターゲットに出発。
自宅を出発
朝の5時に家を出た。本当は渋滞が怖いので4時に出発したかったけど、戸締りの確認に時間がかかりこの時間に。
今まで黒部ダムを見たことがなかったので、とりあえずそこを目指して出発。中央高速を下った。
八ヶ岳PA
渋滞発生ギリギリのところをかろうじてすり抜けて八ヶ岳PAにて休憩。施設を物色しているとメリーファームの野菜を発見。昔お世話になった人の野菜が売られていて、元気でいらっしゃることを確認できたことが嬉しい。
信濃大町
安曇野インターで降りる。R147で信濃大町へ。休憩と情報収集で駅前をふらつくと湧き水発見。今晩の炊飯と水割り用に汲んでいくとこに決定してタンクに確保。扇沢へ向かった。
扇沢
う~ん。天気が悪い。天気予報ではこんなはずじゃなかったんだけど。
扇沢に着いても天気は回復しなかった。
噂ではダムのあたりは寒いと聞いていたので、パーカーを羽織ってチケット売り場へ。
往復2,570円。チョット高いかなと思いつつ、施設の維持管理を考えれば妥当かと一人納得して購入。まぁここまで来て行くのヤメタという選択肢はなかったけど。
初めてのトロリーバス。電車のパンタグラフを想像していたので、運転難しそうだなと勝手に想像していたのだけど、「あぁ!なるほど」と納得の作り。自分の考えの浅さを反省した。
トロリーバスを待つ間に昼食を購入。ホントはダムカレーかなとも思ったけど、値段と内容が折り合いつかなかったので「若笹寿し」にした。宇奈月ビールも飲みたかったけど、帰ってからも運転があるので残念。「若笹寿し」はおいしいと言うほどのものではなかったけど、笹の香りが抜群でその点は高評価。
食事も終えたのでバスを待つ列に並ぶ。
と、ここは日本か?の状態。
おそらく9割が中国人かと。
ありがたいよね、こんな山の中まで。
感謝しますけど、もう少し話し声のトーンを抑えられないものでしょうか?
オネガイ。
黒部ダム駅
バスを降りると案内係の人がご案内。
最初に苦労するか後に苦労するか選択しろとのこと。
それはもちろん体力あるうちに苦労すべきかと。
何段だったか忘れちゃったけど200段ほど?の構内の階段を上った。
ようやく到着。雄大なダムを見下ろせるかと思ったら、
日ごろの行いを反省する。
イヤ、違う。ここにいる誰かの行いだろうと言い訳してしばらく待つと、雲が切れて全体像を見ることができた。
これだけのものをこんなところに作る技術と根性と責任感に感動。
ひとしきり見学後に帰途につく。
今晩の宿をスマホで検索。時間も17時を過ぎていたので近くを物色すると白馬で値ごろ感のある宿が多数ヒット。料金が安い順にソートして比較的大き目なところを予約。宿に向かった。
白馬
宿はゲレンデの目の前。冬はスキー客で賑わうのかな。
他のお客さんはツアーの登山客だったよう。
他の宿では中学生らしき姿が多数みられて、合宿所として利用されているようだった。
夏のスキー場のマネタライズを見た気がする。
宿泊した宿では食事の時間が指定されていて、「夕食18時30分から 朝食6時30分から」との表示があった。
「早っ!」
と思ったけど、山歩きをする人たちの標準ってこんなものなのかと思い直す。
さて、ビールも飲んだし、夕飯の準備をしようかな。
そうそう、夕飯の仕入れ時にスーパー寄った時、鯉の切り身を発見した。信州のあたりって鯉こくが有名だけど、個人的には好きじゃなくって観光客相手に珍しいものを提供しているだけと思っていたけど、どうやら地元の人は日常的に食べるらしいことが分かって驚いた。
だいぶ酔いも回ってきたので、この辺で。
『青白く輝く月をみたか?』を読んでみた
AIについてニュースが報じることが多くなってきた。
将棋についても人間は既にAIに勝てなくなっているというのが常識になりつつあるような気がする。
シンギュラリティがクローズアップされるようになってきたけど、個人的には時間の問題だと思っていて、そこを目指しているんだからそうなるのだと思う。
だからといってそのことが直ちに人にとって脅威になるとは思えないんだよね。
所詮大量に読み込んだ情報を高速に分析して、最適解であろうと思われる答えをはじき出すだけだから。
結局、過去に人間が出した最適解を見つけ出すだけのものかと。
ニューラルネットワークだって重みづけの部分は、まだ人の手が入っていたはずだった気がする。
個人的にはAIが脅威になるのは、AIが自身でプログラムを組むようになったときと、間違えることが出来るようになったときかなと思ってる。
もちろんプログラムを組めという命令に対して組まれるプログラムならば影響はないだろうけど、何らかの命令に対して自律的にプログラムを組むようになったときが怖いかな。
コンピュータにとって自立ってなんだろう?と考えた時に、ひとつの答えになっているのがこの本だったような気がした。
ビックリ(東京都議会議員選挙)
あくまでも個人的見解だったけど、小池都知事主導の都民ファーストの会に票を入れる都民なんていないと思ってた。
日本の中心地である東京の住民って生活コストの高い所だから、それなりの収入を得ている人が多い=それだけの知識・判断力を有する人たちの集合体だと思っていたから。
恐らくこの結果って、都民自ら自分の首を絞める結果になるだろうと予想。
だって、小池知事って今のままだと何の結果を出すことが出来ないだろうから。
一番怖いのが、国政に影響が出るであろうこと。
世界から、日本ってダメだよねって烙印が押される可能性が出てきたことが一番怖い。
とにかく驚いた。
でも、まぁ、自分自身が3σあたりで生きているのだろうから、自分の感覚が一般とのかい離が大きいことは想像できるけど。
都民でないからどうでもいいけど、日本全体が沈む可能性を考えると、その準備をした方がいいのかな。
『生涯投資家』を読んでみた
人って年を取ると丸くなるって言うけど、そうかも知れないなぁって思ったのが読後の感想。
書店で手にしたとき1,700円✕税という値段が「チョット高いなぁ」と思ったのだけど、結果的に「安い買い物だった」と思わせる内容だった。
結構売れているみたいだけど、恐らく購入した人って著者に対して肯定的な人だろうし、本来著者が主張したいであろう層は手にしないだろうなと思う。
そもそも書籍って、新しい読者層を獲得するためには不向きなメディアだし、だからこそ何らかの形でeコマースとの融合は必要かと。
著者の村上世彰さんもそうだけど、堀江貴文さん、佐藤優さんなど、2000年以降に多くのバッシングを受けるとともに時代に飲み込まれていった人たちが最近になって復権?してきていることを、少し嬉しく思う。
今から思えばあの時の風潮は異常だったと思う。もちろん今の時代においてもマスコミが扇動する(先導するでもいいか)劇場型の世論の形成には目を覆いたくなることばかりだけど、世間から2σ3σあたりに生きている人たちをやり玉にあげて、叩いて叩いて叩きまくる風潮に戦慄を覚えた記憶がある。
差別を題材にした報道がなされることがあるが、あの時も一つの差別だよなぁと感じていた。
ひとつ間違いのないことは、3人とも本質をついた発言をしていたこと(本当は正しい発言と言いたいとこだけど)。世間を誘導している2σ3σあたりの人にとって都合が悪かったのだろうけど。
でも、逮捕までするか?とあの時は強く感じた。
結局3人の逮捕によって得るものがあったのだろうかと思うと、あったのではないかと感じる。3人とも当時より自由な環境に身をおいていらっしゃって、1σあたりを生きている人たちにとって大きなインパクトを与える活動をしているように思う。
ただ、その代償としても逮捕という事実は大きすぎるかと。
今回の出版は村上さんの意地だったのかなって思う。
あれだけ叩かれて逮捕までされても信念としてアピールしてきたことを形として残すとともに、閉塞している社会に対してその信念が新しい時代に必要なファクトであることが伝えたかったのだと感じた。
『国家の矛盾』を読んでみた
いつだったか最近のことだったけど、テレビをザッピングしているときに政治を語るイメージにそぐわない人として三浦さんを見かけて「どんな話をする人なのだろう?」と興味を惹かれて視聴したのが三浦さんを知ったきっかけだった。
その番組は終了時間が近かったらしく見ることのできた時間は5分ほどだったけど
「天才が現れた」
が感想だった。
今まで見てきた政治家・学者・評論家とは一線を画す表現で核心をつく言葉に驚いた。この表現だと敵が多いだろうなと思いネットで調べると、やはりたくさん否定的コメントが。
よくあるパターンだけど、その多くが何かを貶める発言によって自分の優位性をアピールしようとする愚の骨頂なる主張ばかりなのはご愛敬。
わずか5分ほどだったけど、三浦さんのキレが伝わってくるには十分な時間だった。
居ても立っても居られずに、近くの書店へ出向いて購入したのがこの本だった。
自民党の高村さんとの対談本だけあって、内容的には自民党の主張が色濃く出ているところは仕方のないところ。ただマスコミが手抜きをして報道しない、自民党が本来言いたかったことはきちんと表現されていたかと思う。
残念なのはマスコミに踊らされる人は、そもそもこの手の本を手にすることはないだろうし、手にする人は本質を理解しているだろうと思われること。ただ「はじめに」と「おわりに」にあるように、今回の安保法制の道筋について自民党側からみた記録としての価値は十分にあったかと思う。
本文は意外にも表現豊かで、「良くこの言葉を載せたな」と思わせる部分も多々あり、結構面白かった。校正段階でかなり気を使ったのでは?と感じる。
本文に関することをここに載せるのは良くないことと理解はしているけど、これからは不利益の分配の時代に差し掛かっているという言葉に唸らされた。